世界は目を覚まし、変化はやってきている
クロ現 『温暖化 16歳の訴え』
活動家、グレタ・トゥーンベリさんの言葉
「あなた方が好むと好まざるとにかかわらず
世界は目を覚まし、変化はやってきている」
自身、中高生の頃
家で購読している新聞を読んで、イチロー選手がマリナーズに入団して毎日マルチヒットと盗塁を重ねるのを楽しみにしていたのと、政治や、環境、、社会問題がこれでもかと繰り返され、その対策に「大人」が本気にならないのはなぜだろうと思っていたのが思い起こされる。
出来事を伝えるだけ、客観的にマズいということも明らかになっている、でもその後は触れられない。
疑問に思っただけで、あっさりそちら側に仲間入り。
目を覚ますきっかけがあっただろうがあまり思い出せない。
あれから~十年、世界は目を覚まし変化はやってきている
こと環境問題に関しては一気に時流が変わるであろうな。
この変化の潮流には、膨らみ続ける「個我」の価値観にも影響を及ぼすんではないだろうか。
30代になっている今、
子どもの頃考えていた「大人」になりきれていはいないけれども、
自分を変えることはできるので
やってみよ。
アウトプットのケイゾク方法
半年前くらいに行ったプーケットでの写真。
バカンスのための観光地で、いろんな楽しみ方ができるところだった。
・自分の生活を離れ、海を見ながら昼からビールを飲む
・翌日の観光を楽しみに、夜の街でお酒を飲む
・真逆の季節で動き回り少し日焼けをする(ビーバレはできなかったが)
そんなに酒飲みではないけれど、心からリラックスして異国の料理を堪能しながら飲む時間が今の至福なんだな。
こんな時間を年2くらい設けたい。
そのためには、Big Whyと向き合いながらの日々の燃焼、効率化、アウトプットをする必要がある。
その中でも特に自分にとっては難関なアウトプット
「続けるアウトプットの方法とは」
ずっと悩み苦しんでおりますが、どうしたらアウトプットを継続できるんでしょうか!?
インプットは楽で、受動的で、何も考えず、延々と、気軽にしている。
アウトプットしないインプットは内臓脂肪のように、蓄積されることで精神的に負担をもたらしているようで。
食べ物と体では、先日健康診断の結果が出て尿酸値が基準を0.1上回ってしまった...。これまでのインプット過多による体の悲鳴として受け止めることにする。
カツオ節にはプリン体が多く含まれているって初めて知った。
さて当然、ためにならないゴシップや愚かなニュースを見るのは無駄。
人間は本能的に悲惨な、危険なことを知りたがり、そうならないよう回避するようにできているようで、どうしても興味関心が集まるしそれに応える形で延々と同じことが報道される。
さてさて、そこに巻き込まれず、日々取り込んでいる知見をどうするか問題については、まず「出す」ことを最優先に行動するのがいいのだろう。
見聞きしていく時はアウトプットを前提とする(ちきりんの日記「メモるべきはインプットではなっくアウトプット」参照)。
この考えは極端かと思っていたけれど、この前提でようやっと意識してメモの手が動いた気がする。
思えば聴講者として参加するもので、聴きながらワクワクするのは、今(聴講して)得ているものをどうやって活かすか(他者にも還元するか)考えるのが楽しい時である。
アウトプットの目的はインプットしたものからどう行動していくかを明確化し記録し発信することだ。
私としてはこれまでの体験から、以下のような方法を実践することにしようと思う。
〇3W1H「いつ」when・・・その都度(時々刻々)を基本として。お昼休み、夕方休憩時、夕食後
「何を」what・・・もやもや感、ひらめき、良いと思った言葉
「どこで」where・・・(場所でなく媒体)手帳、業務ノート、車の中ではボイスメモ、ノート
「どのように」how・・・出来事(できればもやもや感)を内容と感情に分け、内容について「なぜ」×3と深掘り(縦)、「だから何」×3(横斜め)を考察する
〇3点まとめ書籍等からは、今から、明日から、どう活かした行動をするかという視点を最優先にもち、気づきや行動指針は原則2~3点にまとめる。上限を設けておくことで内容を取捨選択しながらインプットできる。
シンプルだけれど、これを念頭にしてみるよー。
〇その日のインプットのうち、自分にとって最も良いインプットを寝る前思い出す。良い夢見るよ~
これが、続けるアウトプットの方法論!
モヤを逃すな!
そして、本題。
百聞は一見に如かず、一見は「やってみる」の比較にならない
ある体験に行ってきた。
今年は、「前倒し」と「まずはやってみる」ことを行動目標にしていて、このことを意識して、引越しや仕事内での挑戦、耳鼻科の受診、習い事の体験を続けざまにしている。
その結果として、ワクワクが止まらない。
年齢のことを気にしたり、直前の面倒くささなど、まだまだ油断すると「やらずにそのまま過ごす」という引力に抗えないこともあるだろうけれど、自ら引力を持った渦を巻き浮遊していく感覚は病みつきになっていきそう。
一つ一つ動きは、簡単そうに見えて意識すべきことが多い。
伸ばす時、手首は真っ直ぐに、
ガードの手はすぐに顎へ
膝の高さがそのままミートポイントになる
特に利き足でないほうの足の上げ方が難しい
でも、何より、初めてミットを打って、キックして、その感触・音の爽快感といったら、、、
やっぱ汗臭いとこだったけど、通って行きたいなと思えるところだった。
やってみたいと思っていたことは
やってみるっきゃない!
進めたければやっぱり外に出て、ノートに書きだすっきゃない
家の中は荒れている。
もうじき引っ越すから仕方ないと思っているのだけれど、この状態だと時間がある時に創作的な行動が全くできない。
特に今は大きな構想をまとめて示す必要があるし。
今日は家の近くのコメダに行った。
居心地よく、程よくお客は回転していたように見えた。
まずは新聞を読み、ランチセットを食し、読みかけの本を引っ張り出して少し読み、
本題の構想まとめをやってみた。
確か、岡田斗司夫さんのスマートノート式の掘り下げ方(序の口)だったと思う。
→なぜ×3とだから何×2とミクロメゾマクロ分類
大きな疑問を拡げて整理した。
さらに現場時代とその後のキャリアでの思いや出来事を、「業務」「ストレス」「考え、望み」に分類してみた。
気づいたのは、新卒から3年目までの「逃げ出したくて仕方ない」状態から
5年目頃からのどんなことにもとりあえず「晴れやかに立ち向かう」姿勢への変化だ。
その頃読んでいた本の影響だ。未だによく覚えている。
大したことはできないけど、心持ちだけはと思って行動していたっけ。
「晴立向」 今も根付いているよ。
その時期意識している言葉も記録していこうと思った。
ノートにどんどんと書きなぐっていったのだけど、思考も言語化でき爽快だった。
言葉にして出し切ると、それをわかりやすくまとめる力が必要になるし、他者からの指摘が欲しくなる。
とりあえずこの段階を踏んでおくことで、他者と話し合える段階にいける。
このノート術、合っている気がする。
モヤモヤしている時は言わずもがな、やりたいこと進めたいことがあるなら、外に出てノートにかきだすのだ。